写経
写経
巷では「暦女」と言われ、歴史的建造物や寺院などを散策する女性が話題となっています。
訪れた寺院等では様々な「体験型アトラクション」が用意されそれを体験するのも散策の醍醐味ともいわれております。その一つに「写経」があります。写経とは「経」を書き写すことですが、写経の始まりは現代のように印刷技術が無い時代に経を書き写したことが始まりです。「写経」で最もポピュラーな題材が「般若心経」です。
法相宗大本山薬師寺管主 山田法胤氏は「プレジデント誌」の取材で「般若心経」をこのように答えている。
「観自在」の心で「ただ見る」ではなく、じっと観て掴み取る
その般若心経が私たちに何を教えてくれるのかというと、「ものを考える際の“物差し”を持ちなさいよ」ということなのです。私たちは、これまでの経験で得てきた知識に基づいて、物事を見ようとします。いま、私が手に持っている湯飲み茶碗も、それが何焼で高価なものかどうか、陶器に関するさまざまな知識がなければわからない。それなのに乏しい知識で勝手に判断して、本来価値の高い茶碗を粗末に扱ってしまう可能性だってあるわけです。
私が般若心経で一番好きな語は、冒頭の「観自在菩薩」です。「自在に観る」ということですが、これを行うことは実に難しい。私たちはどうしても自分のフィルターを通してしか物事を観ることしかできません。それなのに、「これは絶対にこうだ」と決め付けてしまいがちです。「見る」は、物を「ただ見る」こと。それが「観る」になると、「観察」という言葉があるように、「じっと見つめて掴み取る」という意味が含まれています。旅行をして、じっくり見つめて何か得るものがあれば、「観光」になる。でも、ただ漠然と見ていただけでは、たんなる「見物」で終わってしまいます。正しいものの見方ができるかどうかは、皆さん1人ひとりの心がけ次第です。自分の目に映ったものを見たときに乏しい知識に基づいて、「あれは好き」「これは美しい」「それは汚い」即物的に判断してはいませんか。知識の量も質も人によってまちまち。当然、見る人が違えば、その判断も変わってきます。
筆が苦手なら文字が消える恐れのない「鉛筆」でも大丈夫
262文字の書き始めは、「うまく書かないと恥ずかしい」などと、外向きのことがどうしても気になります。しかし、だんだん自分の内側を観るようになり、そこに謙虚な気持ちが生まれてきます。「自分だけの力で生きてきたように思っていたけれども、いま自分がこうしてあるのは周りのひとたちのおかげさまなんだ」と感謝の気持ちが湧いてきます。
私なりの写経のコツを一つ伝授しましょう。通常は最後にお願い事を記す「為書」を私は先に書いてしまうのです。お母さんへの感謝の気持ち、薬師寺の復興にかける気持ちなど、目的を先に明確にしておくと、写経の間ずっと心のなかにとどまり、その思いが深まって成就への道筋を見出せるようになってくるはずです。
プレジデント50プラスより抜粋
円満堂では毎週土曜日午後1時より写経を開催しています
興味のある方は参加してはいかがでしょう(参加費1000円初回の方は無料)
ご自宅で行いたい方は
写経写仏を紹介しているホームページ
http://www.kongohin.or.jp/sutra.html